DXコラム「デジタルの風に吹かれて」

DX研究会「とある技術のデジタル変革」

DXの定義

DXとは何者であろうか。

DXとはデジタルトランスフォーメーションの略語である。先頭の「デジタル」はよく聞く言葉であるがその意味は抽象的であいまい。続く「トランスフォーメーション」は聞き慣れない言葉であるが、訳すとなると「変革」と訳されていることが多い。

デジタル変革と聞いてもその意味は不明であり、言葉から定義を探るのは困難である。このため、人によって、その定義はばらばら、百花繚乱である。

しかしこれは特別なことでも異常なことでもない。よくあることである。例えば、AI や IoT、スマートなども人によって、その定義は違う。AIの世界ではディープラーニングがないとAIと認めない人から、ビジネス観点からか、機械学習はもちろんルールベースの推論もない記号処理プログラムもAIとして、広めに定義している人もいる。IoTはさらにひどい。ネットワークと繋がる機能があるだけでIoTという人までいる。だからDXの定義もそれに倣えば、気にすることはない。

もう少しこの定義の違いを見ていこう。定義の流派には大きく分けて2つの流派がある。一つは、原理主義、純粋派、AND流と言われる偏狭・偏屈な派閥である。複数の必要条件を定義しそのANDを取るようにして定義を厳しくして、なんちゃって系、疑似系を排除し、狭いコミュニティを築いているものである。もう一つは融和主義、同化派、OR流と言われるなんでもかんでも仲間にしてしまおうという節操のない派閥である。複数の十分条件のどれか一つだけを満たすだけでいいORを取るようにして定義を緩くして、その勢力を拡大しようともくろむ派閥である。

さて本題に入ろう。DXの定義であるが、融和主義の定義では「デジタル」がどこかにあるか、「ビジネス」の何か(もちろん、創造から変革のような大きなものから、改良や改善などの小さなビジネスでも可)、「レガシー」や「UX」「価値」のどれか一つでも入っていれば、DXである。一方、原理主義では「デジタル」「ビジネス」「UX」「価値」がすべて入っていなければならない。さらに「レガシー」も必要条件とする超原理主義まである。

この二つを区別する踏み絵としては、「RPA」をDXとして認知するかどうかがある。RPAに強い拒否反応を示せば原理主義であり、ウェルカムをすれば融和主義である。 これは原理主義と融和主義の差異であるが、DXにはもう一つの派閥争いがある。それは実装主義、技術派、エンジニア流と言われる実装面から見るDXと、実利主義、結果派、ビジネス流と言われるビジネス面から見るDXがある。なお現在の主流派はビジネス流である。

こちらの踏み絵は「アジャイル」を信奉するかどうかがある。どちらの流派もDevOpsは神として認めているが、アジャイルをその使徒として認めるかどうかである。この派閥争いは「それにしても金のほしさよ」で結論が出る場合が多い。つまりビジネス流が勝つのである。

もうお分かりであろうか。DXとは不変・普遍・不偏のものではなく、変化・特殊・偏向なものであり、その定義は人に依存し、状況に依存し、時間に依存し、場所に依存する。つまり、あなたがそう思うものがDXであるが、それを他人が同意するとは限らない(ラノベ流定義)。

しかしそれでも定義しようとすると、DXとは少なくとも「IT化」は必須であり、その鍵は「デジタル(電子)データ」であり、その多種多様さである。このデータを扱うようにするのがDXである・・・と私は定義する。

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